KOKURA STRIPES JAPAN
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小倉織
Kokura Stripes Japan Association
Hand weaving

手織り:Hand weaving

小倉織は、地厚で丈夫、なめらかな木綿の織物です。経糸が通常の織物の3倍の密度、緯糸が見えない程で、表現としてはたて縞となります。凛として潔く、色の濃淡による立体的な世界を創りだし、なめし革のような風合いと共に他に類を見ない個性的な織物です。小倉織の第一人者である築城則子氏の作品は、より細い草木染の糸(経糸約60本/cm)を用いて創作され、伝統と革新が融合した作品は東京国立近代美術館やロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館に収蔵されています。

  • 連 30th / 築城則子
  • 過日 / 築城則子
  • 水紫悦 / 築城則子
  • 水月2013 / 築城則子
Machine weaving

機械織り:Machine weaving

染織家 築城則子氏がデザイン監修を行い、小倉織の丈夫で美しいたて縞という特徴を活かした機械織りが2007年に誕生しました。140cmの広幅の布は伝統を継承しつつ、より現代的な汎用品として、ファッション、インテリアなど多分野への用途も広がっています。新しい時代の小倉織として、日本国内だけでなく、世界のクリエイター達とのコラボレーションも展開しています。

Machine weaving
  • Works05
  • Works06
  • Works07
  • Works08
小倉織の歴史:HISTORY

 豊前小倉(北九州市)の地で江戸時代(1600年代)から作り続けられてきた「小倉織」は、武士の袴や帯として織られました。小笠原藩士の婦女子が中心となって、綿を栽培し、糸を紡ぎ、織った布は特産品として全国で珍重されました。
 徳川家康が鷹狩りの際の羽織として愛用したと記録に残っていますし、徳川美術館には江戸時代中期(18世紀)の狂言装束としての「縞小倉羽織」が収蔵されています。
 明治時代には文明開化の波のなかで、袴の特徴を引き継ぎ、男子学生の夏の制服として、「霜降り」と呼ばれるグレー無地の小倉織を製造し、小倉木綿、小倉服の名で全国に広がりました。あまりに人気があって製造が追いつかず、各地で小倉織に似たものが製造されていきました。
 300年以上続いた小倉織は、昭和初期に一度途絶えましたが、染織家 築城則子氏が試行錯誤をくり返し、1984年に復元、再生。先染め木綿糸による機械織りの小倉織の縞も新たに誕生した21世紀は、後継者も育って未来を明るくしています。

About us

事業内容

  1. 1 小倉織制作に関係する、またその支援をする会員の交流、連絡、情報交換
  2. 2 小倉織の品質向上のため、会員間での染織技術等の公開支援
  3. 3 小倉織に関する地域住民を対象とした広報活動
  4. 4 小倉織のブランド確立のための国内外での広報活動
  5. 5 その他、当法人の目的を達成するために必要な事業
会員
  1. 1 正会員 当法人の目的に賛同して入会した個人又は法人
  2. 2 賛助会員 当法人の目的に賛同し、その活動を積極的に支援する個人又は法人
会費

個人正会員:10,000円・賛助会員:3,000円

一般社団法人小倉織

会員

代表理事築城 則子
理事片山 憲一
理事渡部 英子
理事自見 のりこ
理事佐藤 京子
理事内山 啓大
監事前田 俊雄
Kokura Stripes Japan Association